2009年12月18日金曜日

カマキリと月──南アフリカの八つのお話

<こどもに贈る本>
 子どもに本なんか贈らない、いや、はずかしくて贈れない。このシリーズのタイトルをみてひねくれもののわたしは、反射的につぶやいてしまいました。これまでに、人に本を贈ったことが数えるほどしかないのです。もし、その人が読みたくない本だったらどうしよう・・・と贈ってから心配で夜も眠れなくなったり、逆に「おもしろいから」といって贈られた本がおもしろくなかったら、くれた人の魅力までどこか薄らいでしまうのも悲しいし・・・と不安や悩みが風船みたいに膨らんでしまうのです。

 子どもだってきっと・・・、とわたしは一方的に想像します。だから、大人が子どもに本を贈る、なんてどこか押しつけがましくてはずかしいのです(その子がほしい本なら話は別ですが)。
 そこでわたしは、もっぱら自分のために本を買うことにしています。これはいい! おもしろい! 子どもに読めそうだな、と思ったら「スッゴク、オモシロカッタ、アナタガタニモ、ヨメルワヨー!」と大声で言って、その辺にちらかしておきます。だれかが読むだろうと思うからです。子どもはそんなふうに本と出会うほうがいいのです。
 とくに思春期の子どもは、大人が読ませようと思う書物以外から、実にたくさんのことを、それも親にはいえないような「ひみつの」「暗い」部分を吸収していきます。この影の部分が、子どもの成長にはとても大切なのではないかとも思います。それに、子どもにしてみれば、自分の心のなかのできごとを、大人となんか共有したくないし、たとえ親でも(いや親だからこそ)、いちいち踏み込まれたくないのですから。

 前置きが長くなりました。その辺に放り出しておいた本のなかで、二人の娘たちの心に届いた本として、南アフリカの作家、マーグリート・ポーランドの『カマキリと月』をあげておきましょう。

「冬のことです。星たちが、夜という深く青いうつわの中で、氷のかけらをよせ集めたように、きらきらと光っています。年をへてまるくなった茶色の岩がならぶ丘の上には、セグロジャッカルのムプングチェと、そのつれあいが立っていました。
 風が、ひゅうひゅうとむちのような音を立てて、平原をふきわたっていました。」

 南アフリカに、欲が深くて力の強い人々がやってきて、計画的に土地を奪っていく以前から、そこに住んでいたサン人やコーサ人の世界観やものの見かたをよりどころにしながら書かれた八つのお話が入っています。引用したのはそのなかの「ジャッカルの春」の出だしです。

 サン人は、まわりの自然にとけこんで、それと調和したくらしをし、自然を破壊したり、自然のバランスをくずしたりするようなことは、けっしてしませんでした、と作者は「日本の読者へ」のなかで書いています。
 この本には、自然のなかで生きるものたちの、耳慣れない名前がつぎつぎと出てきますが、遠いアフリカの南端を舞台にしたお話にもかかわらず、「小さなカワウソの冒険」などは、娘たちには親しみをもって迎えられました。スプリングボック、カラカル、エランド、リーボックといった動物の名前や、カルーアカシア、ブアブン、ユーフォルビア、シクラルといった植物の名前のもつ音のひびきに耳を澄ましながら、目にしたことのない風景を想像して、読みすすむ楽しさがあります。けれども、とりわけすばらしいのは訳文のなめらかさで、日本語としてのことばのもつ美しさをじっくり味わいながら、物語を楽しむことができるのです。

 めまいを起こすような活字の洪水のなかでやっと出会えたこの本を、初めて読んだのは4年前のことでしたが、心があらわれるような思いでした。二度ほど読んで、二度とも涙が出てきてこまりました。でも、こんな本を読んで大人が泣くのもわるくはないかな・・・とも思うのです。
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この文章は、最初1992年に「本の花束」に掲載され、2000年に『こどもに贈る本』(みすず書房)におさめられました。
 紹介した本は、南アフリカの自然が心打つ物語として、大人も十分に楽しめます。お薦めです!

2009年12月3日木曜日

書評『歳月』──茨木のり子

 2007年に他界した詩人、茨木のり子が48歳のときに最愛の夫と死別してから、夫のイニシャルを記した箱に書きためた、39編の詩からなる遺稿集だ。

 感情を抑制した各詩編から立ちのぼってくるのは、ひとりの男とひとりの女が出会って暮らした25年間の「生」の記憶を、残された側がたどる旅である。いくつもの記憶に時間の光をあて、あらためて意味をつけてことばのピンで留め、感情の濁りはさらりと捨てて、透明になるまで煮詰めていく。それは、先に逝った人との関係の記憶をくりかえし再確認し、再検討し、みずからの旅立ちを準備する作業でもあっただろう。
 その道中に作られた一服の詩「二人のコック」。


 憎しみが
 愛の貴重なスパイスなら 
 それが少々足りなかった 二人のコックの調理には

 で
 こくのあるポタージュにはならず
 二十五年かかって澄んだコンソメスープになりました

 でも 嘯(うそぶ)きましょう
 おいしいコンソメのほうが  はるかに難しい
 そのつくりかたに関してはと


 そう、茨木のり子の詩もまたポタージュではなく、徹底してコンソメ味だった。それもすばらしく透明な。ことばに対する信頼感に羨ましいほどゆらぎのない作法で書く詩人でもあった。

 2006年3月、大きなレンズにぼかしの入った眼鏡姿の詩人の写真が夕刊の追悼コラムに載ったとき、私は思わずその記事を切り抜いた。伝えられた逝き方があまりに見事だったから。それは長い時間をかけて考え抜かれ、周到に準備されたものだった。直球を、ときに剛速球を投げつづけた詩人の、最後の作品だったのかもしれない。

 一度だけ、拙著をお送りしたとき「詩集の礼状はめったに書かないのですが」とお便りをいただいたことがある。嬉しかった。

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2007年4月22日付、北海道新聞に書いた書評に少しだけ加筆しました。

2009年11月5日木曜日

書評/白戸圭一著『ルポ 資源大陸アフリカ』

アフリカは遠いか? 60年代末のビアフラ戦争、80年代の饑餓キャンペーン、ルワンダの虐殺、メディアのなかで一時的に拡大しては縮小するアフリカ。だがアフリカは本当に遠いのだろうか?

 四年間の毎日新聞ヨハネスブルグ支局勤務中に「格差と暴力」をテーマに据えた記者が、南アフリカとモザンビーク、ナイジェリア、コンゴ民主共和国、スーダン、ソマリアと、豊かな資源があるゆえに激しい紛争が起きつづけている地帯を、周到な準備と、鋭い勘と、まさに強運としかいいようのないパワーで取材し、帰国して結実させた、それが本書だ。

 読みながら「僕の国が貧しいのは資源があるからです」と語るコンゴ民主共和国出身の、在日の知人の顔が何度も思い浮かんだ。

 冷戦時代から常に代理戦争の現場となってきたアフリカ、資源採掘の安全を確保するために大手鉱山会社から武装グループに流れる資金、旧ソ連や中東から大量に流れ込んだ武器、国家予算の大半が軍事費に消えてしまい、教育・衛生予算がゼロという国さえある。
 念入りな統計値と現場取材でまとめた内容は説得力に富み、アフリカと世界各国の緊密な関わりをみごとな切り口で描き出す。とりわけルポの部分は息をつかせずに読ませる。

 モザンビークで美人コンテストと偽り南アの売春宿に売り飛ばされた娘が見せる恥じらい。ナイジェリアで初めて石油が採掘された村に、いまだに電気がないと語る村長の悔い。密入国したサヘル地帯で会った、ゲリラ戦司令官に随行してきた少年兵のつっぱり。取材相手を描く記者の視線はどこまでもやわらかだ。

 アフリカ各地に紛争状態を維持することで莫大な利を得る者がいる。めぐりめぐってその恩恵を受ける北側社会のなかに私もいる。アフリカはケータイやPCに欠かせない希少金属コルタンの埋蔵量が世界一なのだ。

 周囲の人たちがみんな貧しいところでは凶悪な犯罪は起きないという。だが、目にあまる格差が生み出す暴力は、利を得る北側の日常にもいつか、ブーメランのように帰ってくるのだ。

 アフリカは本当に遠いのだろうか? なにかが遠くしているだけではないのか? そんな問いにこの本はまっすぐ答えてくれる。


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付記:
 もちろんこの本だけで「アフリカ」がすべて見えてくるわけではない。著者の狙いは、あえて紛争地帯を取材して「格差と暴力」という視点から、この大陸の歴史と現在をくっきり浮き彫りにすることにあった。その結果、ニュース価値を高めることに成功したのだ。
 この大陸の多様性はたった一冊の本では見えない。次の本はきっと、4年間のアフリカ滞在中の、ごく日常的な暮らしや、人びとの素顔を伝えるものになることを期待したい。たった一冊の本を読んだだけで「わかったつもりになること」にこそ「シングル・ストーリーの危険」はあるのだから。

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北海道新聞、2009年10月25日書評欄に掲載されたものに少しだけ加筆しました。
『ルポ 資源大陸アフリカ』(2009年8月刊、東洋経済新報社、1900円+税)

2009年10月9日金曜日

『ツォツィ』──アソル・フガード

みんなからツォツィ(ごろつき)と呼ばれる若い男は背中に闇を背負っている。封印した、幼いころの記憶だ。だが、ぬれた新聞のにおいをかぐと胸がうずき、クモの巣を見ると激しい恐怖に襲われる。つきまとう茶色の雌犬のイメージ。

 だから、考えない。

 朝、目覚めた瞬間がいちばん厄介だ。まわりの世界が五感にどっと新たな衝撃をあたえるからだ。まず枕の下のナイフを探り、手に持ったときの安心感を味わう。すると一日が自分のものになる。夕暮れまでに仲間とやりすごして仕事に出る。人を襲って殺し、金を奪うのだ。獲物にした人間から憎しみと恐怖の目で見据えられる瞬間、自分が生きていると実感する。

 ところがある夜、仲間から「考える」ことを迫られる質問を執拗にあびせられて、切れ、雷雨のあがった木陰で襲った女から、靴箱を押しつけられる。目と耳をくぎづけにさせる箱の中身は、生まれたばかりの赤ん坊だ。

 そして男のなかで何かが変わりはじめる。
 
 舞台はアパルトヘイト時代の南アフリカ大都市周縁部。白いタウンと「有色」の人たちが住むタウンシップをつなぐ地区だ。やわらかな心が育つはずの子ども時代をいきなり断ち切られたまま大人になった男が、人生再生の糸口をつかむ物語。暴力が渦巻く日常を、克明な心理描写と、ト書きのような情景描写で読ませる。

 著者アソル・フガードは1989年の俳優座公演「サムとハロルド」や、1992年の文学座公演「マイ・チルドレン! マイ・アフリカ!」などで日本に知られた南アフリカの白人劇作家。『ツォツィ』は彼の唯一の小説だ。書きかけてギブアップした60年代はじめは、解放の光が見えない時代だった。94年のアパルトヘイト完全撤廃から今年2009年で15年の時が経った。だが格差の広がるかの国には、ツォツィの分身はまだ大勢いるのだろう。

忘れたくないのは、作者フガードがその後は、劇場でダイナミックに真実を伝える演劇を選び、体制批判をつづけたのは「白人にもかかわらず」ではなく、「白人ゆえに」だったことだ。ここは間違えないほうがいい。おなじ南ア出身の白人作家J・M・クッツェーもいうように、有色人種に過酷な犠牲を強いる体制から最大の利をえたのは、彼らが属する世代だったのだから。

 当時「名誉白人」だった日本人もまた、無関係ではない。

『ツォツィ』アソル・フガード著 金原瑞人・中田香訳/青山出版社 2007年刊

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付記:2007年5月に、共同通信から配信された書評に加筆しました。
 また、南アフリカがアパルトヘイト体制から本当に解放されたのは、1994年です。白人政権最後の大統領、デ・クラークがアパルトヘイト法の撤廃を宣言した1991年ではありません。アフリカを専門分野とするアカデミックのなかにも、91年と発言する人がいます。91年から94年までの権力委譲交渉の3年間に、じつに大勢の人が政治抗争に巻き込まれて、解放を見ぬままに死んでいます。その事実がややもすると忘れられがちですので、ここに明記しておきます。
 2007年12月に来日したドロシー・ドライヴァーさんとも、この話をしました。オーストラリアでも、91年としたがる傾向があると、彼女もまた指摘していました。

2009年8月2日日曜日

アードリックの『ラブ・メディシン』──こころ癒す愛の妙薬

昨日つまり2009年8月1日の朝日新聞夕刊に、池澤夏樹氏の「多文化の実現とウレシパ──アイヌは日本どう変える?」という記事が掲載された。日本国内の、いわゆる主要民族の文化と先住民文化との関係が、現在という時点で、しかも世界のなかの日本をもふまえて、とても分かりやすく述べられている。
 そこで思い出したのが、ルイーズ・アードリックの小説『ラブ・メディシン』のことだ。彼女は北米ネイティヴ・アメリカンの作家。思い立って、以前、書いた書評をここにアップする。少しだけ手を入れたが、この文章を書いた1990年からすでに19年という時間が流れたことに、軽い驚きをおぼえる。でも、自分の考えていることはあまり変わっていないなあ、とも思う。
 でも、翻訳をめぐる事情は確実に変わってきた。それはまた、これからの翻訳文学のあり方、世界文学のパワーを考えるうえで、またとない契機でもあると思う。

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ものすごい速さで新刊書が回転していく店先。あたり一面、極彩色の活字や広告の海。そんな波に襲われると、一瞬、気力が萎える。めまいを感じながら一冊の書物を手にとる。どうして本なんか読むんだろう。わざわざ忙しい時間をさいてまで──と思いながら。
 でもわたしは読む。こういう書物を読みたかったのだとわかるまで、頑固に読みつづける。書物は食べ物のように何かを養う。だから常時補給していかなければならない。
 書物はまた薬でもある。こころ癒す薬、滋養だ。超管理社会のなかで、日々、目に見えない擦り傷や、引っ掻き傷を無数に作って暮らしているから。
 ルイーズ・アードリックの『ラブ・メディシン』という小説は、この心を癒すための書物だ。この小説を読んでいると、物語ることの力にについて、「語られることば」の力について、考えさせられる。

 1954年にアメリカ合州国ミネソタ州で生まれたアードリックは、フランス系とドイツ系の血を引きながらも、自分はチペワ族であるとはっきり言い切る。「アメリカ大陸が発見」されてから今日まで、本来そこに住んでいた人びとは虐殺され、土地を奪われ、不毛な土地へと囲い込まれていった。征服者が間違って「インディアン」と呼んだ彼らの数は、1000万から70万へと激減したという。
 外部から見れば彼らの世界はすでに崩壊したかに見えるが、じつは今なお独自の文化、社会、政治集団として生きている。その事実を、人びとの壮絶な生を、現在に向かって開いて見せてくれたのが、1984年に発表されたこの『ラブ・メディシン』である。

 物語は、ジューンという女の死をめぐって数珠を繋ぐように語られる。14の章がそれぞれの声をもち、1934年から84年までのあいだに起きた、3世代の人びとをめぐる物語が展開され、たがいに響き合ってひとつの大きな物語を形成していく。
 なかでも第1世代にあたる2人の女、マリーとルルを描く筆致は強く、鮮やか。ルルを愛しているネクター(後に族長となる)が、森のなかで修道院から逃げ出してきたマリーと出会う場面は、なみなみならぬ緊迫感があって読ませる。
 結局、ネクターといっしょになれなかったルルは、次々と父親のちがう息子を産み、ネクターとも会いつづけるのだが、みずからの内部感覚を頼りとして生きる彼女の存在感は圧倒的で、美しい。白人と男の社会がもたらすものへの幻想はみじんもない。ネクターの死後、ルルとマリーの心が深く結ばれる場面も心を打つ。

ラヴ・メディシン(愛の妙薬)とは、狭義には男女間の冷えた愛を復活させる秘薬のことだが、ここでは虐げられてきた人びとの魂を癒し、「物や人を所有的にではなく愛し、おだやかに分かち合って生きる、新しい知あるいは術」をも意味するようだ。
 作品全体が、病み疲れた者を癒す深い力をもっているのは、語ることばがそのような働きを支えているからだろう。

 この小説には、身体のなかに森をもつ男や女がきわめてポジティヴに描かれている(読んでいて違和感さえ覚えるほどだが、逆にその違和感こそ大事にしたいと思うのだ)。光と風のなかで自然と交感する力や、人と人が分かち合い、癒し合う精神と思想の、荒々しいまでの豊かさをかいま見せてくれる場面は圧巻で、文字を超え、文章を超えて迫ってくる。行間に注意深く耳を澄ませば、読み手をかぎりなく解放する「声」を響かせていることにも気づくはずだ。

 口承文芸の長い伝統をもった民族を自認する女性作家の作品が、いま、征服者の、過度に洗練されて、衰えさえ見える活字文化に、奪い尽くされてなお、みずからの富を分け与えているかのようだ。みずからの集団としての屈辱を癒し、尊厳を回復するだけでなく、病み狂った征服者の精神さえをも癒す力を、彼女の作品群は含み持っているかのようだ。

(「週刊読書人」1990年9月3日号に掲載された文章に加筆しました。)

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Louise Erdrich/ルイーズ・アードリック(1954- )
ミネソタ州リトル・フォールズ生まれ。母方はOjibwa オジブワ族(Chippewa チペワ族とも言う)のネイティブ・アメリカン。ノース・ダコタのインディアン居住区で育つ。ダートマス大学でBA、79年ジョンズ・ホプキンス大学でMAを取得した。
 81年、ダートマス大学のアメリカ研究教授M.ドリスと結婚。共著を出版し、養子3人と実子3人を育てたが、別居後の97年、ドリスは自殺。アードリックは現在ミネアポリスに住み、著作のかたわらBirchbark バーチバークという書店を経営している。住宅街の一角にあるこの店には、本だけでなくネイティブ・アメリカンの小物なども置かれ、彼らの集会所のような空間にもなっている。
 彼女のほとんどの作品は、ノース・ダコタのアーガス(架空の町)を舞台に書かれている。短編はO.ヘンリー賞などに数回選ばれた。

 2008年の、エイミー・グッドマンとの会話がこのサイトで見ることがでる。

小説:
Love Medicine (1984)『ラブ・メディシン』(望月佳重子訳、筑摩書房 1990)
The Beet Queen (1986)『ビート・クイーン』(藤本和子訳、文芸春秋社 1990)
Tracks (1988)
The Crown of Columbus [with Michael Dorris] (1991)『コロンブス・マジック』(幸田敦子訳、角川書店 1992)
The Bingo Palace (1994)
Tales of Burning Love (1997)『五人の妻を愛した男』(小林理子訳、角川文庫 1997)
The Antelope Wife (1998)
The Last Report on the Miracles at Little No Horse (2001)
The Master Butchers Singing Club (2003)
Four Souls (2004)
The Painted Drum (2005)
The Plague of Doves (Harper, 2008)

詩:
Jacklight(1984)
Baptism of Desire (1989)
Original Fire: Selected and New Poems (2003)

そのほか、多数。

2009年6月17日水曜日

岡崎がん著『トランス・アフリカン・レターズ』

これは北海道新聞(1997年8月31日付朝刊)に掲載された書評に少し加筆したものです。
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岡崎がん著『トランス・アフリカン・レターズ

読む前とあとでは、あたりの風景がどこかちがって見える、そういう本がある。そしてこれは私にとって、紛れもなくそのたぐいの本だ。やっととれた夏休みの初日、机の上でページが開かれるのを待ちに待っていた本から、アフリカの熱気、湿気、妖気がじわじわと滲みでてきた。一気に読んだ。そして室内の風景が、しばし、変わったのだ。

 20数年前、ひとりのヒッピー風の若者がアジアから中近東を経て、ヨーロッパへ行き、ひょんなことで行き先を南米からアフリカへ変えてジブラルタル海峡を渡る。そのための準備らしい準備もなく、いきなり飛び込んでいくアフリカの旅だ。その旅の記憶が、昨日も明日もなく「いま」を生きるアフリカンタイムにぴったりの臨場感とともに、日本の女友だちにあてた手紙形式で語られる。モロッコ、アルジェリアと地中海沿いに移動し、サハラ砂漠を南下し、ニジェール、ナイジェリア、カメルーン、中央アフリカとヒッチでトラックを乗り継ぎ、妖気ただよう異境ザイールを抜けてケニヤにたどり着く。

 なんといっても、中央アフリカのバンギから川を渡ってザイールへ入る国境越えの話がすごい。ジャングルを文字どおり手探りしながら進むのだ。木をよじのぼり、五感を総動員して沼の上を這い渡るところは圧巻。ナイジェリアの作家、エイモス・チュツオーラを彷彿とさせる世界だ。

 これは、決まり切った道程をスケジュール通りにこなすツアーや観光とは対極の、トラベルという語が本来もつ「トラブル」山盛りの旅だ。こんな旅は、どうころんでも、女ひとりでは無理そうなところがちょっと悔しいが、この本には、アフリカのもっともアフリカらしい部分と身ひとつで関わろうとする者の、若々しい精神が脈打っている。

 でも、マラリアの熱にうなされ、食うや食わずで旅する若者に、一夜の宿を貸すザイールの村人も、いまは戦火にさらされているのだろう。状況は当時と大きく変わった。それでも、というか、それゆえに、というか、とにもかくにもお薦めの一冊である。

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付記:12年も前に書いた書評ですが、その時間の経過をあらためて考えるためにも、ここに書き写しました。古くなった部分、いまも古びない部分、あれからどんどん事態は変わったなあ、と、この本を読むとさまざまな思いが脳裏をよぎりますが、なかでもタイトルの、TRANCE AFRICAN LETTERS の最初の語が、TRANS-(横切って) ではなく、TRANCE(恍惚とさせる)だったのか、と気づいたときは、ちょっと驚きました(笑)。

2009年5月17日日曜日

「なにかが首のまわりに」──チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ新作

こちらに引っ越しました。

http://esperanzasfiles.blogspot.com/2019/07/blog-post.html


2009年5月5日火曜日

ドラゴンは踊れない──アール・ラヴレイス

 わらわらわらっ!!  面白い本があらわれた。まだ読んでいる最中なのに、書かずにはいられません。アール・ラヴレイス著『ドラゴンは踊れない』という本です。

 カリブ海のかなり南のほうにトリニダードとトバゴという島々があって、その地のカーニヴァルの話。といっても、観光客めあてにご案内するような本ではなくて、そこに住んでる人たちの暮らしやらその内実やらをしっかり書いている本。たとえば、女はって生きてくお姉さん、喧嘩っ早いお兄さん、頑固な無職のおじさん、偉ぶってるけれどじつは脆い美人のおばさん、かあちゃんの男に殴られるガキンチョなんかも出てきて、カリブ海諸島の歴史も、音楽も、政治も、みーんなひっくるめて大盛りのサラダボールみたいに入っている。年に一度のカーニヴァルに着るドラゴンの衣装を作ってる男が主人公で、彼が住んでるヤード(路地庭)を中心に話は進む。

 それも、息づかいや、声のかすれ具合まで聞こえてきそうな語りっぷりなのだ。ナラティヴ文体といわれるおしゃべり文体もここまで行けば、もういうことなし! 読んでいてこっちまで身体が踊り出しそうになる。職業病で、ついつい、ここ、原文はなんだろう? と思わずエンピツで線を引いたりしてしまう、絶妙な訳文に脱帽!

 それにしても感心するのは、カリブ世界の元奴隷やら年季奉公労働者の、いわば底辺社会の人たちの基本的に「マッチョ」きわまりない世界をここまでリアルに描きながら、作者ラヴレイスの目がものすごく優しいことだ。女にも男にも、人間の強さも弱さも、こすっからさまで含めて、とことん暖かいアプローチなのだ。会話と会話のすきまの、言外の微妙なやりとりを描き出す力もまた、すごい。

 断然、☆☆☆☆☆ です。

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アール・ラヴレイス著 中村和恵訳『ドラゴンは踊れない』(みすず書房刊、2009年2月)

おすすめ書評サイト
  →中日/東京新聞
  →読売新聞
  →毎日新聞

2009年3月10日火曜日

書評『アラブ、祈りとしての文学』──岡真理著

 アラブ、イスラムといった語で括られる世界が、奥の深い、多様な世界であることは想像がつく。だが、分かりやすさを求めるメディアでは、同時代を生きる人間の入り組んだ内実へ近づく手がかりに、ステレオタイプなベールがかかりがちだ。

 そんなベールを一枚一枚はがしながら、文学を糸口にアラブ世界の具体的な現実を見る目を養ってくれる本が登場した。特に表にはあらわれにくい、女たちの暮らしや生・性を想像するための手がかりを、この本はまるで深い井戸のように準備してくれる。水面に見え隠れするその姿を、汲み取ることも不可能ではないとささやくように。

 十五章からなる本書は、著者が学生時代に留学したエジプトやモロッコ、さらにアルジェリア、レバノンなどの作家たちを紹介し、女性の描かれ方に焦点をあてて、社会、歴史、時代などとの関連から作品の構造を解きほぐしていく。

 なかでもパレスチナの作家をめぐる文章は、昨年暮れからのイスラエルによるガザ攻撃とダブって心打たれる。六十年にわたり、住み慣れた土地を暴力的に追われて難民となり、狭い土地に押し込められ、軍事的にも経済的にも支配され、突如、爆弾の嵐に見舞われて、老人といわず子どもといわず殺される暮らし。

 文学は無能か? と著者は問う。アフリカで飢える子供や、パレスチナで石を投げただけで撃ち殺される子供の命を直接救わないという点で、確かに無能だ。だが、現実に直にかかわれないゆえに文学が希望となり、祈りとなることは可能だ。

 人は生まれる時代も場所も選べない。だが文学は、さまざまな規定を受けて生きざるをえない個人が、おのれと異なる者を思いやる力を養う。そのことを示唆する、終章へ向かう筆致は圧巻。

 吸い込まれるような深い瑠璃色のカバーの奥にじっと目を凝らしていると、生きることそのものが抵抗であるような人間の、声なき声が、かすかなつぶやきとなって聞こえてきそうだ。

アラブ、祈りとしての文学』(2008年12月 みすず書房刊)
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北海道新聞/2009年3月8日付に書いたものです。

2009年2月21日土曜日

沈黙のなかに滲み出るもの──ハンス・ファファレーイの詩

 菊の花たちが
 挿してある花瓶はテーブルのうえにあり、
 窓辺にある、が、それらは

 窓辺にあるテーブル
 のうえの花瓶
 の菊の花たち
 ではない。

 ひどくきみを悩ませ
 きみの髪を乱す風、それ

 はきみの髪をかき乱す風で、
 髪が乱れているときは
 そのためにもう悩まされ
 たくない、ときみが思う風だ。

 氷のように透明で明晰な詩を書いた詩人、ハンス・ファファレーイ(1933〜90)は1977年、第三詩集『菊の花たち、漕ぎ手たち』で掛け値なしの評価をえた。右の詩はその詩集に収められた同名の詩の冒頭である。オランダ領ギニア(現スリナム)の首都パラマリボで生まれたファファレーイは、五歳のときに母や兄とアムステルダムに移り、以来この地で暮らした。生地スリナムを去ったのはまだ幼いころで、その経験が作品内に反映されることはない。カリブ海出身について直接ふれることもきわめてまれだ。
 この詩人の情熱はもっぱらヨーロッパ文化から受けた遺産に向けられる。詩篇の多くは自宅のあるアムステルダムを背景にしているようだが、特定できるものは少ない。彼の詩にはローカル色の徹底した欠如がある。
 作品から詩人の日常を知ることもできない。だが彼自身が述べているように、自伝的なものは断片化され、集積されて詩の内部に忍び込み、豊かな連想をかき立てる。実際、ファファレーイの詩にみられるこの知的で地理的なコスモポリタニズムこそが、詩人の生地カリブ海の、クレオール文化のエコーを聞き取る場なのかもしれない。なぜなら、彼の描く風景は、切り離されながら彷徨う、移り住む者の眼差しを通したものだから。
 ファファレーイが旅に出るのはもっぱら学生のころから訪れたクロアチアだ。ここで後に妻となる比較文学者、レラ・ゼチュコヴィッチと知り合い、以来、夏ごとに訪れる地中海の風景が、時を超えたエーゲ海風景へと溶け込み、ホメロスやサッポーへのオマージュとして詩篇に織り込まれることになる。

 折りに触れて幾度もきみを愛さなければ、
 ぼくにはきみがまったく未知のものだから
 ぼくという存在の核とほとんど

 おなじくらい未知であり、それは
 ぼくの名前の記憶が、きれい
 さっぱりと消えたあとも

 永くつづく羽ばたきだ。ときどき、
 ふとわれに返ると、ぼくたちの家が
 さわさわと音をたてだし、大声で
 きみの名を呼びたい思いにかられるとき、

 ぼくは、この頭のなかにいるきみを
 ふたたび見つける、……

 これは88年の詩集『忘却にあらがい』所収の「甦った、ペルセポネ」の冒頭だが、ここにみられる「剥離する意識」はくりかえし彼の作品にあらわれる主題だ。自分はいったいだれなのか、どこにいるのか、このまま存在しつづけることが可能なのか。そんな不安を、意識の層を何枚も剥がしながら書き留めようとする姿勢がこの詩人にはある。
 事物の絶え間ない動きによって、いずれだれもが飲み込まれていく沈黙と忘却。それに抗うこともまたこの詩人のテーマとなる。「時を止める」ために用いる方法は「ゼノンの矢のパラドックス」のイメージだ。時間を小さく区切れば区切るほど、空中を飛ぶ矢の飛距離は短くなり、区切りを無限に小さくすれば時間は静止するという逆説。
 時を止めるいまひとつの方法として浮上するのは記憶だ。だが実際の出来事とその記憶はむろんおなじものではない。81年の詩集『光降る』の次の詩は、ハンスとレラがクロアチアの叔母の庭を訪問したときのものだ。

 記憶が、みずからの意思で
 したいことをするように、ぼくたちは
 いま一度かぶりつく、ほぼ同時に
 そろって、トウモロコシの畝
  
 のあいだで、彼女は彼女の
 杏に、ぼくはぼくの杏に

 これは記憶そのものが無情にも変化することを、痛烈に喚起する詩行である。
 動きによる腐朽を食い止める方法としてさらに、ファファレーイは哲学を取り込む。無我の境地へいたるための瞑想によって、おのれを世界から遠ざけるのだ。その思想の背景にはソクラテス以前、とりわけヘラクレイトスの影響が色濃くみられる。火を万物の流転の核とする苛烈な思想だ。たとえば先の「菊の花たち、漕ぎ手たち」の次の詩行。

 あらゆるものに内在する
 虚空は、現実に
 あり、かくも激しく動いて、
 やがて最後のことばの
 響きに混交する、

 (それはいま、唇を通過する
 ことを拒み)、まず唇を愛

 撫し、躊躇うことなく唇を
 抉る。……

 この詩篇の最終部がまた印象的で、ファファレーイの手になるとオランダでさえ、水路や畑がひどく不分明になっていく。

 徐々に──近づいて
 くる、八人の漕ぎ手
 たちは、しだいに内陸へ入り

 みずからの神話のなかに入り、
 漕ぐたびに、故郷から
 さらに離れ、力のかぎり漕ぎすすみ、
 水が消えるまで広がり、
 そして彼らは風景全体をへり

 まで充たす。八人は──
 さらに内陸へ漕ぎすすみ、
 風景は、もはや水が
 ないため、膨れあがる
 風景に。風景を、
 さらに漕ぎすすみ

 内陸へ、陸に
 漕ぎ手たちの姿なく、漕ぎ
 争われた陸となる。

 私がファファレーイを知ったのは J・M・クッツェー訳によるオランダ詩のアンソロジー『漕ぎ手たちのいる風景』のなかだった。出身地こそ南アフリカと違うけれど、クッツェーもまたオランダ系植民者の末裔である。彼はファファレーイを「その世代でもっとも純粋な詩的知性の持ち主であり、その詩は宝石のように美しく、本を閉じたあとも永く、エコーのように心に響く」と絶賛する。
 硬質な語と語のあいだに響く沈黙、そこに滲み出るもの──そんな魅力が、国境や言語を越え、時間さえも超えて、読む者の心を震わせるのだろう。

*英訳版の使用を快諾してくれたF・R・ジョーンズ氏、紹介の労を取ってくれたJ・M・クッツェー氏に深謝します。

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「現代詩手帖 2009年1月号」に書いた文章に少し加筆しました。
写真は、フランシス・ジョーンズ編訳のアンソロジー『忘却にあらがい/Against the Forgetting』(A New Directions Book,2004)。

2009年1月1日木曜日

Waiting for the Barbarians──最終章はいらない?

年末の2日間、J・M・クッツェーの出世作『Waiting for the Barbarians夷狄を待ちながら』を再読した。最初に読んだのは、キングペンギン版のペーパーバックで、『Life & Times of Michael Kマイケル・K』といっしょに2冊まとめて読んだときだから、ほとんど20年ぶりだ。

この小説は「帝国」と「夷狄/野蛮人」という二項対立で語られることが多いが、今回あらためて通読して、いくつも発見があった。そのひとつが、主人公である初老の執政官の、男としての性的欲望の描かれ方に関するものだ。『Disgrace/恥辱』の、やはり初老の主人公の場合のそれと、重なったり、ずれていたり。そうか、70年代後半(作家は30代後半)に書かれた作品ではこんな風だったのが、90年代後半(50代後半)ではああなるのか、と非常に興味深く読んだ。もちろん架空の帝国とポストアパルトヘイトの南アフリカという背景の違いも大きい。

 再読のきっかけは、ある知人から「最後の章は要らないのじゃない?」という問いを受けたことだ。そのときは返すことばに詰まった。質問の内容を作品に照らして具体的に考えるための情報が、私の頭のなかから消えていたからだ。いくら好きな作家の作品でも、20年前に読んだものの細部までは覚えていない。今回しっかり読み直して気づいたのは、終章は要らないどころか不可欠のもので、作品全体にくっきりとしたパースペクティヴをあたえていることである。それが確認できたのは大きな収穫だった。
 
 物語の概要はこうだ。架空の帝国が支配権をもつ辺境の植民地(季節の移り変わりと月の関係からみて北半球を想定)で執政官を長年勤める主人公(名前はない)のところへ、夷狄の襲来を懸念する帝国の第三局(ロシアの秘密警察を想起させる)から、ジョル大佐という人物が派遣される。そして夷狄狩りが始まる。ジョル大佐率いる部隊に連行されてきた夷狄は、人間以下の扱いを受け、尋問され、拷問を受ける。
 父親を殺され、自分も両足を潰され、視野も狂って、仲間に置き去りにされ、物乞いをする夷狄の娘を街から拾ってきた執政官は、自分の本来の職務は法と正義を行うことにあるはずだ──と、ジョルの行為や自分の立場をあがなうかのように、娘の足に油を塗り、撫でさすり、寝床をともにする。しかし性交に至ることがない。これまで女をつぎつぎと渡り歩いてきて何の疑問も持たなかった主人公は、そこで、自分の性的欲望について熟考することになる。
 旅籠屋の女たちに対しては何の問題も生じない。女を「欲望することは彼女を掻き抱き彼女のなかに入ることを意味する、彼女の表面に穴を穿ち、その内部の静まりを掻き混ぜて恍惚の嵐を起こすこと、それから退き、終息し、欲望がふたたび結集するのを待つ。ところが、この女はまるで内部などないかのようで…」(p43)と作家は男の性的欲望について詳らかに言語化する。これはそっくり、新しい土地(いみじくも「処女地」などという語が使われたりする)に対して帝国が抱く野望や欲望と重なるもので、ある種のアナロジーとも読める。

 主人公にも、褐色の肌の夷狄の女にも、名前があたえられることはなく、作中で名前があたえられるのはわずか3人。ジョル大佐、青い目のマンデル准尉(夷狄の娘を仲間に返してきた主人公を逮捕して拷問する)、そして旅籠屋の料理女メイである。料理女は最初登場したときは名前がない。その息子が獄舎の主人公に食事を運んでくる場面はあっても、母親のほうに名前があたえられるのは物語が終盤に入ってからだ。これは読んでいていささか唐突な感じさえする。それまで影のような、顔のなかった人物が突然、表情をもった固有の人物に変わって、主人公の前にあらわれるのだから。

 しかし、このメイは最終章できわめて大きな役割をはたす。主人公の語りを「聞く相手」──相対化の視点を運び込む役──として、さらに、主人公にはついに聞き取れなかった「夷狄の娘のことば」を伝える者として登場するのだ。つまり、夷狄をめぐる嵐のような一年の出来事:ジョルの到来、夷狄の捕獲、娘の返還の旅、主人公の逮捕、さらなる夷狄狩り、拷問、ゲリラ戦で消耗した軍の破滅、大挙して逃げ出す住民たちのエグゾダス、残された少数の人々との暮らし──といったプロセスが、おもに主人公の内面で生起することば(幻想/妄想も含む)によって展開されるわけだが、その時間の経過を相対化する視点が、この終章で入るのだ。そのことで主人公の経験と、その結果彼に起きた変化が、ひとつの俯瞰図のなかにくっきり見えるようになる。
 したがって、終章はまさにエピローグとして機能し、物語はクライマックスで終わることなく、頂点を冷静に見つめる視点で終わる。そして視界は一気に見通しがよくなるのだ。これはクッツェーのすべての作品にいえる、きわめて重要なポイントかもしれない。この章を読んでいて私はクッツェー作品を読む醍醐味を味わうことができた。

 さらに思い出すのは、3部構成の『マイケル・K』をめぐる、あるインタビューだ。クッツェー作品の本質を考えるうえで示唆的なやりとりである。
 第3部は不要ではないか、というインタビュアーの問いに対してクッツェーはこう答えるのだ。

「この本が第2部だけで終わるなら、それは明らかに責任回避になります。この本から、Kが、天使として立ちあらわれないことが重要なのです」  ──(FROM SOUTH AFRICA, The University of Chicago Press, 1988, p457)