2013年4月17日水曜日

d-labo 2013年3月12日(火) 19:00~21:00くぼた のぞみ / 翻訳家・詩人 旅する「アフリカ」文学


アフリカ文学との出会い

講師のくぼたのぞみ氏は翻訳家で詩人。翻訳の世界では、特にジョン・マックスウェル・クッツェー、そしてチママンダ・ンゴズィ・アディーチェという2人のアフリカ出身作家の作品を翻訳してきたことで知られている。本セミナーでは明治大学教授の管啓次郎氏を聞き手に、朗読やスライドショーなども交え、アフリカ文学との出会い、2人の作家の特徴とその背景にあるものなどについてお話ししていただいた。
くぼた氏がアフリカ文学の翻訳に着手したのは1987年のこと。最初の依頼は小説ではなくニジェール・コンゴ語族に属するアフリカ民族、ズールー人の民族叙事詩(『アフリカ創世の神話-女性に捧げるズールーの讃歌』)だったという。作者はマジシ・クネーネ。英語で書かれたものだったが、そこにあったのはヨーロッパ的な文化や思想に慣れた身としては、まったく違う捉え方をした作品だった。「すごい」と思って引き受けた。と同時に「なぜ私のところに?」とも思ったという。
「実はこれには伏線があったんです。」
この仕事を受ける数年前、くぼた氏はトニ・モリスンの『青い眼が欲しい』や、アリス・ウォーカーの『メリディアン』など北米の黒人女性作家の作品を収録した選集を読んでいた。当時のくぼた氏は子育ての真っ最中。忙しいなかで読んだ本は「心を揺さぶる」ものだった。翻訳という仕事はもともと東京外国語大学に通っていた学生時代から志望していたもの。若い頃は音楽業界にいたので離れていたが、この選集を読んで「こういうものをやりたい」とあらためて口にするようになった。
「どうもそれが依頼された方の耳に入ったみたいなんです。」
「アフリカ」という言葉は共通しているが、くぼた氏が惹かれたのはアフリカンアメリカンの現代文学。対して依頼された物は古典的な叙事詩だった。「本当にアフリカのことなど知らずに始めた」というくぼた氏。その試行錯誤の日々の中で、やがてクッツェーとの出会いが訪れることになる。

「声」で語り継がれてきたアフリカの文化

「クッツェーを紹介してくれたのはアメリカ人の友人でした。私がズールー人が暮らす南アフリカについて調べていると、『これを書いているのも南アフリカの作家だよ』とクッツェーの本を手渡してくれたんです。」
読んだのはペンギンブックスの『Life &Times of Michael K』。
1983年にブッカー賞を受賞した作品だった。アパルトヘイト政権下の南アフリカを舞台にした小説は、「読んでいて得体の知れない力を持っていた」。バックカバーに載っている作者の肖像にも魅力を感じた。意志的な顔をした白人男性。自称「ミーハー」のくぼた氏は、この白黒の写真に「この人には何かがある」と感じて翻訳を決意した。結果としてそれは最初に依頼を受けた民族叙事詩よりも先に刊行されることになる。以後、作者のクッツェーとは主に手紙を介してやりとりをする仲に。実際に顔を合わせたのはそれからだいぶ経って、2006年のクッツェーの初来日のときだったというが、その間にもくぼた氏はクッツェーの自伝的三部作の一作目である『少年時代』を刊行している。
一方のアディーチェとの出会いは2000年代に入ってから。黒人女性作家であるアディーチェは、かつて心を揺さぶってくれた北米のアフリカ系女性作家に連なる存在だった。
「なぜ自分がアフリカ系女性作家を好きになったのか。それを遡ると学生時代の体験にあったように思います。」
くぼた氏が大学に入学したのは大学闘争が起きた1968年。「信じてきたものが壊れた」ショックは大きかった。そのとき出会ったのが文学とジャズだった。サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルドなどの女性ボーカリストたちにのめりこんだ。聴くたびに「声」が体に響いた。振り返ると「支えてもらっていた」。そうした黒人女性たちの「声」は後に出会った作家たちの作品にも息づいていた。文体の陰に隠れている「声」。アフリカの文化は文字よりも声で語り継がれてきた。そういう意味で、ジャズも文学もくぼた氏にとっては「不可分なもの」であるという。

旅する2人の作家

クッツェーは1940年生まれのオランダ系白人作家。アディーチェは1977年生まれの黒人作家。前者は南アフリカの出身で後者はナイジェリアの出身。年齢も性別も人種も、そして書く小説も違う2人だが、両者には「旅する作家」という共通点がある。クッツェーは21歳でイギリスに渡り、アディーチェは19歳でアメリカに留学している。クッツェーはその後、アメリカにも渡る。そして現在はオーストラリアに暮らしている。2人とも作品を書くときは英語だが、それぞれアフリカーンス語やイボ語とのバイリンガルだ。そして海外から自国=アフリカを見たことで小説を書き始めた。クッツェーが書くものは植民者の末裔として生まれ、加えてアパルトヘイトという時代を体験したアウトサイダーの物語。そこには「人間は生まれる場所も親も言語も選べない」という意識が常にある。それがクッツェーの創作の原点。その作品には「倫理性」というこの作家ならではの特徴がある。かたやアディーチェには「ヨーロッパから色眼鏡で見られてきたアフリカを書き変えたい」という強い想いがある。本当のアフリカの姿を伝えたい。それが作家としてのアディーチェのテーマだ。
講師自らの朗読は、アディーチェの『アメリカーナ』と『シーリング』、クッツェーの『少年時代』の部分訳。ストーリー性の高いアディーチェの小説はその先はどうなるのだろうという期待感を抱かせる。対して内省的なクッツェーの文章にも強力な磁力を感じる。どれも読みごたえがある作品であることに疑いはない。
後半は、2011年11月に旅した南アフリカの写真をスライドで紹介。この旅でくぼた氏はクッツェーの小説の舞台となるケープタウンの町やその周辺を巡り歩いた。「おまけ」は来日時に撮った2人のスナップ写真。睨むような視線のクッツェー氏と朗らかなアディーチェ氏。対照的な表情が印象的である。
「いままでの夢はある意味実現してきた」というくぼた氏。この先の夢は「もう一度ケープタウンに行くこと」だという。管氏が披露してくれたのは、「カレンダーにない1年があれば、その間にやり残している仕事を全部やる」という「究極の夢」。ユーモラスな夢にセミナーは笑いに包まれて幕を閉じた。