2007年に他界した詩人、茨木のり子が48歳のときに最愛の夫と死別してから、夫のイニシャルを記した箱に書きためた、39編の詩からなる遺稿集だ。
感情を抑制した各詩編から立ちのぼってくるのは、ひとりの男とひとりの女が出会って暮らした25年間の「生」の記憶を、残された側がたどる旅である。いくつもの記憶に時間の光をあて、あらためて意味をつけてことばのピンで留め、感情の濁りはさらりと捨てて、透明になるまで煮詰めていく。それは、先に逝った人との関係の記憶をくりかえし再確認し、再検討し、みずからの旅立ちを準備する作業でもあっただろう。
その道中に作られた一服の詩「二人のコック」。
憎しみが
愛の貴重なスパイスなら
それが少々足りなかった 二人のコックの調理には
で
こくのあるポタージュにはならず
二十五年かかって澄んだコンソメスープになりました
でも 嘯(うそぶ)きましょう
おいしいコンソメのほうが はるかに難しい
そのつくりかたに関してはと
そう、茨木のり子の詩もまたポタージュではなく、徹底してコンソメ味だった。それもすばらしく透明な。ことばに対する信頼感に羨ましいほどゆらぎのない作法で書く詩人でもあった。
2006年3月、大きなレンズにぼかしの入った眼鏡姿の詩人の写真が夕刊の追悼コラムに載ったとき、私は思わずその記事を切り抜いた。伝えられた逝き方があまりに見事だったから。それは長い時間をかけて考え抜かれ、周到に準備されたものだった。直球を、ときに剛速球を投げつづけた詩人の、最後の作品だったのかもしれない。
一度だけ、拙著をお送りしたとき「詩集の礼状はめったに書かないのですが」とお便りをいただいたことがある。嬉しかった。
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2007年4月22日付、北海道新聞に書いた書評に少しだけ加筆しました。