アラブ、イスラムといった語で括られる世界が、奥の深い、多様な世界であることは想像がつく。だが、分かりやすさを求めるメディアでは、同時代を生きる人間の入り組んだ内実へ近づく手がかりに、ステレオタイプなベールがかかりがちだ。
そんなベールを一枚一枚はがしながら、文学を糸口にアラブ世界の具体的な現実を見る目を養ってくれる本が登場した。特に表にはあらわれにくい、女たちの暮らしや生・性を想像するための手がかりを、この本はまるで深い井戸のように準備してくれる。水面に見え隠れするその姿を、汲み取ることも不可能ではないとささやくように。
十五章からなる本書は、著者が学生時代に留学したエジプトやモロッコ、さらにアルジェリア、レバノンなどの作家たちを紹介し、女性の描かれ方に焦点をあてて、社会、歴史、時代などとの関連から作品の構造を解きほぐしていく。
なかでもパレスチナの作家をめぐる文章は、昨年暮れからのイスラエルによるガザ攻撃とダブって心打たれる。六十年にわたり、住み慣れた土地を暴力的に追われて難民となり、狭い土地に押し込められ、軍事的にも経済的にも支配され、突如、爆弾の嵐に見舞われて、老人といわず子どもといわず殺される暮らし。
文学は無能か? と著者は問う。アフリカで飢える子供や、パレスチナで石を投げただけで撃ち殺される子供の命を直接救わないという点で、確かに無能だ。だが、現実に直にかかわれないゆえに文学が希望となり、祈りとなることは可能だ。
人は生まれる時代も場所も選べない。だが文学は、さまざまな規定を受けて生きざるをえない個人が、おのれと異なる者を思いやる力を養う。そのことを示唆する、終章へ向かう筆致は圧巻。
吸い込まれるような深い瑠璃色のカバーの奥にじっと目を凝らしていると、生きることそのものが抵抗であるような人間の、声なき声が、かすかなつぶやきとなって聞こえてきそうだ。
『アラブ、祈りとしての文学』(2008年12月 みすず書房刊)
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北海道新聞/2009年3月8日付に書いたものです。