2009年10月9日金曜日

『ツォツィ』──アソル・フガード

みんなからツォツィ(ごろつき)と呼ばれる若い男は背中に闇を背負っている。封印した、幼いころの記憶だ。だが、ぬれた新聞のにおいをかぐと胸がうずき、クモの巣を見ると激しい恐怖に襲われる。つきまとう茶色の雌犬のイメージ。

 だから、考えない。

 朝、目覚めた瞬間がいちばん厄介だ。まわりの世界が五感にどっと新たな衝撃をあたえるからだ。まず枕の下のナイフを探り、手に持ったときの安心感を味わう。すると一日が自分のものになる。夕暮れまでに仲間とやりすごして仕事に出る。人を襲って殺し、金を奪うのだ。獲物にした人間から憎しみと恐怖の目で見据えられる瞬間、自分が生きていると実感する。

 ところがある夜、仲間から「考える」ことを迫られる質問を執拗にあびせられて、切れ、雷雨のあがった木陰で襲った女から、靴箱を押しつけられる。目と耳をくぎづけにさせる箱の中身は、生まれたばかりの赤ん坊だ。

 そして男のなかで何かが変わりはじめる。
 
 舞台はアパルトヘイト時代の南アフリカ大都市周縁部。白いタウンと「有色」の人たちが住むタウンシップをつなぐ地区だ。やわらかな心が育つはずの子ども時代をいきなり断ち切られたまま大人になった男が、人生再生の糸口をつかむ物語。暴力が渦巻く日常を、克明な心理描写と、ト書きのような情景描写で読ませる。

 著者アソル・フガードは1989年の俳優座公演「サムとハロルド」や、1992年の文学座公演「マイ・チルドレン! マイ・アフリカ!」などで日本に知られた南アフリカの白人劇作家。『ツォツィ』は彼の唯一の小説だ。書きかけてギブアップした60年代はじめは、解放の光が見えない時代だった。94年のアパルトヘイト完全撤廃から今年2009年で15年の時が経った。だが格差の広がるかの国には、ツォツィの分身はまだ大勢いるのだろう。

忘れたくないのは、作者フガードがその後は、劇場でダイナミックに真実を伝える演劇を選び、体制批判をつづけたのは「白人にもかかわらず」ではなく、「白人ゆえに」だったことだ。ここは間違えないほうがいい。おなじ南ア出身の白人作家J・M・クッツェーもいうように、有色人種に過酷な犠牲を強いる体制から最大の利をえたのは、彼らが属する世代だったのだから。

 当時「名誉白人」だった日本人もまた、無関係ではない。

『ツォツィ』アソル・フガード著 金原瑞人・中田香訳/青山出版社 2007年刊

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付記:2007年5月に、共同通信から配信された書評に加筆しました。
 また、南アフリカがアパルトヘイト体制から本当に解放されたのは、1994年です。白人政権最後の大統領、デ・クラークがアパルトヘイト法の撤廃を宣言した1991年ではありません。アフリカを専門分野とするアカデミックのなかにも、91年と発言する人がいます。91年から94年までの権力委譲交渉の3年間に、じつに大勢の人が政治抗争に巻き込まれて、解放を見ぬままに死んでいます。その事実がややもすると忘れられがちですので、ここに明記しておきます。
 2007年12月に来日したドロシー・ドライヴァーさんとも、この話をしました。オーストラリアでも、91年としたがる傾向があると、彼女もまた指摘していました。