2014年1月21日火曜日

新世紀・世界文学ナビ:ラティーナ編/1 サンドラ・シスネロス


新世紀・世界文学ナビ:ラティーノ/ラティーナ編/1  サンドラ・シスネロス
ナビゲーター くぼたのぞみ
毎日新聞 2012年10月29日 東京朝刊

◇ラテン系移民のバイブル

マンゴー通り、ときどきさよなら』(晶文社、96年)をひっさげて80年代のアメリカ文学界に登場したサンドラ・シスネロスは、父がメキシコからの移民一世、母が移民二世、7人兄弟のひとり娘として1954年にシカゴで生まれている。
 作品は、プエルトリコからの移民が住む街に紛れ込んだ一家と、人びとの暮らしを生き生きと描く。夜と昼の二つの職をかけもちして働く父は、いずれもっと良い家に住むぞ、と週末に郊外の住宅見学へ家族を連れ出すが、十代初めの娘エスペランサはそれが実現不能らしいとすでに気づいている。

 短い物語を数珠のように繋いだスペイン語まじりの文体はとても新鮮で、それまで声をもたなかった人びとの声を文字として読むことを可能にした画期的な作品だ。移民街の人たちの心の奥でふつふつと湧く思いを、少女の一見とめどないおしゃべりのような語りにのせながら、ほつれることなくリアルに描き切っている。
 多くの人が、これはわたしの物語だ! と魅了され、勇気づけられたのも頷ける。いまや増え続ける一方のラテン系移民たちのバイブルとなったのも無理はない。

 短編集『サンアントニオの青い月』(晶文社、96年)には『マンゴー通り』の登場人物がさらにリアルに、さらに成長した姿になって登場する。これにメキシコ革命の歴史人物サパタや、現在シスネロス自身が住むテキサス州サンアントニオの暮らしや風物が加わり、メキシコとアメリカの国境をまたいで行き来する人びとの姿が、旅行者の目ではなく、そこに住み暮らす人間の、土に密着した目線で描かれている。
 2002年に出た待望の長編『カラメロ』(未邦訳)は16世紀に遡るメキシコの歴史を編み込みながら、米国へ渡った父親の家族の歴史を娘の目から語るサーガだ。やわらかな語りで構成されるシスネロスの作品は、しかし、しなやかで強靭なものに貫かれてもいる。マチスモと呼ばれる男尊女卑社会の人間関係をとことんあらわにする姿勢である。告発調とはほど遠い技法でそれをやってのけるところがすごい。
 詩人シスネロスには詩集も2冊あって、94年の『ルース・ウーマン』がいい。

 2012年4月に初来日した作家と会って感じられたのは、物腰のやわらかさと、人間への、いや、この地上の命あるものへの懐の深い優しさだった。


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サンドラ・シスネロス/作家本人から

 日本を初めて訪ね、帰ってきたばかりです。でも、日本はこれまで何度か私を訪ねてくれました。15歳のとき、シカゴのヤマモト写真店で日本の女の人たちと隣り合わせで働きながら、封筒は両手で丁重に渡すものだと学びました。もっぱら個別指導でお手本が示されたのは、たいていの人が英語を話せなかったからです。写真店のランチルームで、彼女たちは日本の食べ物を分け合っていました。そしてシカゴ仏教寺院で毎年開かれる「銀座祭」。そこで盆踊りをする、それは優雅な友人ヒロコに私はじっと見入ったものでした。
 日本は人びとを通して私のことろへやってきました。だれもが歩く図書館でした。57歳の私はまだほんの駆け出しにすぎません。でも北斎のことばを言い換えるなら、もし80歳まで生きれば、私もそれなりに進歩するかもしれませんね。


2014年1月14日火曜日

新世紀・世界文学ナビ:カリブ編/5 マリーズ・コンデ

新世紀・世界文学ナビ:カリブ編/5 マリーズ・コンデ=ナビゲーター・くぼたのぞみ
毎日新聞 2013年02月04日 東京朝刊

 ◇文化の衝突から作家が生まれる

 カリブ海の島々は、ヨーロッパ世界が新世界アメリカスを征服するための足場だった。またたくまに先住民が滅ぼされ、労働力としてアフリカから膨大な数の人間が奴隷として運ばれ、コーヒーやサトウキビを栽培するプランテーションで酷使された長い歳月。経営は白人、労働は黒人、その狭間(はざま)で混血が微妙な関係を競った。複数文化が衝突するこの小さな場所は、しかし、驚くべき文学者を数多く輩出してきた。マリーズ・コンデもまた紛れもなくその一人だ。
 3冊の自伝的作品が興味深い。1937年、フランス海外県グアドループ生まれのマリーズが16歳でパリへ留学、初めてエメ・セゼールの『帰郷ノート』を読んで黒人としての誇りに目覚めていく姿をみずみずしいタッチで描いた『心は泣いたり笑ったり』(99年、邦訳は2002年、青土社)。祖母の人生まで遡(さかのぼ)り、愛憎相なかばする複雑な母と娘の関係を解きほぐした労作『Victoire, les saveurs et les mots (ヴィクトワール、風味と言葉)』(06年)。そして最新刊の『La vie sans fards(すっぴん人生)』(12年)だ。これが途轍(とてつ)もなく面白い。
パリでギニア人俳優ママドゥ・コンデと結婚したマリーズは、アフリカに渡って教師をしながらコートジボワール、ギニア、ガーナ、セネガルと職を求め、身の安全を求めて移り住む。夫や義母と不和になり、憧れの政治家は独裁者とわかり、4人の子どもを産み育てながらさまざまな辛酸をなめる。この激動の60年代アフリカ体験から一人の作家が誕生するプロセスを、粉飾を排した容赦ない文章で描き出しているのだ。
 コンデは来日回数も多く、すでに訳された作品も粒ぞろいだ。「セーラムの魔女狩り裁判」をカリブ海出身の女性を軸にして書き直した傑作『わたしはティチューバ』(98年、新水社)、パナマ運河建設に関わったある男の家系を描く壮大なピカレスク小説『生命の樹(き)』(98年、平凡社)、作家の講演録を日本独自に編集した『越境するクレオール』(01年、岩波書店)、かのエミリ・ブロンテの代表作『嵐が丘』をカリブ世界に置き換えた『風の巻く丘』(08年、新水社)と、どれも圧巻。
 ここ数年ノーベル文学賞候補のダークホースとしてひそかに話題になっているコンデが、トニ・モリスンに次ぐ黒人女性作家2人目の受賞、と報じられるのも案外近いかもしれない。(翻訳家・詩人)=毎週月曜日に掲載
 <作家本人から>

 ◇真実を語る試み

 伝記は往々にしてファンタジーとして組み立てられます。どうやら人間というのは、実際に生きた人生とは異なるものとして、美化した自画像を描きたがるようです。
 ですから『La vie sans fards/すっぴん人生』は真実を語る試み、作り話や心地よい安易な理想化を締め出す試み、と考えていただかなければなりません。
 これはたぶん私の作品のなかで最も幅広い読者に読んでもらえる本だと思います。アフリカに自分のアイデンティティを見出(みいだ)そうとするグアドループ生まれの人間が、なかなか作家という天職につく覚悟ができず、長い産みの苦しみをする物語ですが、なによりもまず、人生の難題に直面して苦闘する女性の物語なのです。彼女はつねに、母であるか自分自身であるか、という大変重い、具体的な選択を迫られるからです。(『La vie sans fards』より Copyright2012 by Maryse Condé)