2010年1月27日水曜日

封印がとけて

(midnight press ウェブページに2009年12月24日に掲載されたものですが、リンクが難しいため、こちらにも。)


〈詩人の発言17〉  くぼたのぞみ


ことばの旅はすべて詩からはじまった──詩はことばへの原初の旅である、とりあえず、そう言ってみようか。

 ながいあいだ封印されていた扉をあけて、ふたたび詩の部屋に入っていった。封印されていた扉には窓がなく、なかは見えなかった。ひとたびその扉を開け、開けっ放しにしたまま進んでいくと、そこは紛れもない初めてのことばの光にみちていて、外界との境界もさだかではない。きみはどこにいるの? 地図を忘れてきたの? それとも、ここは会員制? ときどき入口をふりかえる。そして、扉がまだ開いていることを確かめる。

 扉を封印したのはかれこれ15年も前のことで、それからずいぶん時が経った。遺棄されてきた壁のものも、床のものも、触れられることをひたすら待って、待ちくたびれ、気持ちを濁らせながら、じっと耐えてきたようだ。詩のかたちもまた、そして、ことばの音も、色も。
 この部屋はきみだけの部屋ではなかった、もちろん。

 変わったものはなに?

 それは日本語をめぐる風力と、吹きつける砂の密度と、匂いだ。
 花と思しきものは見えず、風あるのみ。部屋のなかには、記憶を、歴史を消し去る渇いた粉雪さえ舞っている。斜めに吹きつける粉雪が、舗道を塗り込め、ばらばらな足跡を消していく。つなぎとめるものを探しながら。わたしは小さく、小さくなっていく。

 わたしは日本語という国に生きていて、詩はその花だと思っていた。でも、音と思いのあわいを紡ぐのは、もちろん、日本語だけではない。もちいる人が少ない言語ほど、詩の花はきらきらと咲きこぼれるのだ。

 この20年、きみはずいぶんアフリカという場所へ往った。朝起きるとアフリカに往って、昼もまた机上の旅はつづき、夜になってもまだ還らない。でも、寝るときだけは日本語の布団に入る。
 いつしか、きみの詩の部屋に吹く風も、南部の乾燥した赤土を巻きあげるカルーの風から、湿った埃を吹きつける西のハルマッタンへと変わり、熱い太陽の光と湿った砂が、時間のめばりを崩していく。

 もうすぐ、グバ・クリスマス! 
 ビアフラと東京をつなぐ「69」の絡まるいとを染めて、目も粗く、新しい詩を書きつける布は織られたばかりだ。(09.12.24)

(編集部註 この文章が書かれたのはクリスマス前です)

*くぼた のぞみ 1950年生まれ。翻訳家・詩人。詩集に『風のなかの記憶』(1981年、自家版)、『山羊にひかれて』(1984年、書肆山田)、『愛のスクラップブック』(1992年、ミッドナイトプレス)がある。

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写真は、アフリカンプリントで作った梅田洋品店のヘアゴム。