

看守や刑務所長とのやりとりなど、獄中生活のディテールが生々しい。ロベン島の囚人たちがどうやって情報を伝え合ったか。1976年のソウェト蜂起をどのように知り、入獄してくる若者たちの思想や行動をどう受け止めたか。
80年代の世界的な反アパルトヘイト運動の高まり、特に経済制裁の強化(日本は残念ながら最後まで消極的だった)が功を奏して、90年2月に釈放される直前、白人政府との水面下の交渉がどこでどのように行われたか。知られていなかった事実が続々と明らかにされる。
ユーモアを屈辱の解毒剤にして人間の尊厳を守り抜く姿勢や、監獄でも白人政権との交渉でも、相手の人柄と立場を一目で見抜き、正確な状況判断に基づいて着実に交渉を進め、粘り強く要求を勝ち取って行く過程が圧巻だ。59歳で肉体労働を免除された後、独房で週に4日、みずから課した腕立て伏せや腹筋運動の回数もすごい。
マンデラが初めて白人女性の物乞いを見たときの反応が印象的だ。黒人なら見慣れているのに、白人は気の毒と思うのだ。長い間に「あたりまえのこと」として内面化された差別意識の根は深い。アフリカ諸国が熱い視線を注ぐ「民主国家南アフリカ」の、自由への道はまだまだ遠い。
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共同通信社の依頼で1996年に書いた書評に少しだけ加筆しました。いまは絶版のようですが、まだ古書なら入手可能。ぜひ、復刊を! 『自由への長い道(上)』『自由への長い道(下)』
マンペラ・ランペレという女性はもとは医師で、貧困のうちにおかれた子供たちの状況を書いた国連報告を、私は訳したことがある。それは『二匹の犬と自由』(現代企画室)という本の巻末につけられ、1989年1月に発売された。